夕暮れの散歩

リードで繋がれた飼い犬は、軽快に飛び跳ねながら進んでいる。

今年の初め、祖母の家に行った時に毎回元気に出迎えてくれる犬、ボビーを連れてその日は散歩に出かけた。

見慣れた風景でも、犬との散歩の最中は違う景色に見えた。

山に囲まれ、田んぼが広がっている田園風景の中を、歩く。

意外にも車の通りはあるので、少しだけ気をつけながら、歩く。

ボビーはこちらをチラチラと見ながらも、時に走り出したり、時に草むらの中へと潜って行ったり、自由奔放でただただ進みたいように進んでいた。

 

ふと、目をつむってみた。

視界は真っ暗で、聴こえるのは風の音。

身体に伝わるのは、手に握っているリードの感覚。

リードは力強く自分を導いていた。時折自分を引っ張る感覚が無くなり、その度に自分も止まったりを繰り返す。

また引っ張られると、自分もその方向に歩いていく。

少しだけ聴こえる呼吸の音。道草の揺れる音。

視界は何処までも真っ暗で、道もわからない。

指標となるのは、リードの感覚だけ。

そんな事を繰り返しながら、1時間ほど散歩をしていた。

 

何と無く、その時間が楽しかった。

流石に長時間目をつむるのは怖くて、たまに目を開けたりもしたが、ボビーに手を引っ張られてるその感覚が、不思議と面白く、心地よかった。

 

……もし自分が視力を失ったらどうするだろう。

もし自分が聴力を失ったらどうするだろう。

もし自分が、明日死んでしまうのなら、世界はどう変わるのだろう。

 

誰かが導いてくれるだろうか。

何も変わらないかもしれない。

けど、ボビーとの散歩の時間は、自分がここにいる事を確かめさせてくれた。

そんなとある日の夕暮れ。

 

誕生日

もう日付は変わってしまったけど、昨日の12月19日は、24回目の誕生日だった。もう24歳かという気もするし、まだ24歳かという気もする。

人生の4分の1を生きたといっても、いつだって今を生きていることに変わりはない。誕生日だからって、どんな人間も祝福されるべきなんてこともない。それでも毎年誰かが祝ってくれることは幸せなのかもしれない。

 

誕生日は箕面温泉で過ごした。とても風格のある旅館で、温泉も素晴らしかった。こういう旅館に泊まるのは久しぶりで、多分高校の修学旅行以来かもしれない。

入り口付近には猫が住み着いていて、おそらく旅館の従業員公認の野良猫なのだろう。とても人懐っこく、撫でるとなんともだらしない格好でごろ寝し始めた。

客室、食事、温泉も堪能して、気づけばもう深夜4時前。

6時には起きないといけないけれど、寝る直前にこれを書き留めてる。

 

すれ違うお客さん、当たり前だけど、一人一人が今を生きているように見えた。

中には自分のように誕生日の人もいるかもしれないし、年の瀬に家族旅行として来ている人もいるだろう。それとは別に、片付けられらない思いを抱えて、そんな自分を労うために来ている人もいるかもしれない。

人の数だけ想いがあって、人の数だけ理想がある。幸せを追い求めている。

 

……幸せってなんだろうか。

こんな原始的で禅問答みたいな命題を、今までも何度か考えたことはある。結局答えは見つけられてないけれど。そもそもあるのかどうかもわからないけれど。

 

……30分ぐらい延々と考えても、やっぱり答えは出ないみたい。いつか音楽になるかな。

 

 

そういえば一曲新しい曲を公開した。

「夏の終わり」

まだデモの段階だから、本チャンはまだだけど、実を言えば2ヶ月前には完成していた。

そこから色々あってまだレコーディング出来てないのだけど、いつかアルバムを作った時に収録しようと思う。

もう冬だけどね…。よかったら聴いてください。

雑記

ふと思い当たって、今日からブログを始めてみようと思う。

ブログというか、ただの雑記とも言える。

何を書いていこうか、どういうブログにしていこうか、そういう指標みたいなものは今は全然ない。これからもそういうことは考えないかもしれない。

ただただ、思ったことや感じたことを淡々と綴っていくだけになると思う。

 

始めた大きなきっかけというのはこれといって無いけれど、強いて挙げるならば自分と対話する場が欲しかった。

勿論ブログである以上、誰かに見てほしいという気持ちはある。でもそれ以上に、自分と向かい合いたかった。

普段は音楽を作ったりもしてるけど、大体内省的な曲ばかりだから自然とブログもそうなってしまうらしい。

 

そう、普段は音楽も作ってる。

作曲ペースは遅い。というか最近はあまり上手く曲が書けていない。

スランプなのかもよくわからない。未来に立って振り返ってみれば必要な時間だったと言えるのかもしれない。

このブログが、もしかしたら何らかのファクターになるのかもしれないけれど。

来年は一歩ずつ踏みしめていけたらいい。

 

こうやって綴っていると、自分が少し緊張しているのがわかる。

自分の書いた文章を他人に見られることなんてあまり無いから、裸になった気分だ。

でも、もしかしたら同じような気持ちを抱いている人がいるのかもしれないけど、Twitterやインスタで何かを発信しようとすると、どうも上手くできない。

本来込められているはずの言葉の力が霧散されている気がする。

だからこうやって文章を書くのは、Twitterやインスタに綴るよりかは気楽だ。

 

窓の外はもう夕暮れ時。いや、もう既に日が落ちて暗闇が世界を包んでいる。

書き始めた頃は明るかったはずなんだけどな。

こんな短い文章なのに、一体どれだけ時間をかけているのか。

 

もし読んでくれている人がいたら、最後まで読んでくれてありがとう。

更新は不定期になると思う。それでもよかったら、また読んでほしい。